魚籃寺

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三田4丁目
閲覧数: 1,939  投稿日: 2011 10 4 日  更新日: 2021 2 6

魚籃寺 とは?

「魚籃坂」の途中にある、浄土宗の寺院

基本情報

説明文

「魚籃寺」は、「魚籃坂」の途中にある、浄土宗の寺院です。

所在地

〒108-0073 港区三田4-8-34

電話番号

03-3451-5677

基本情報

「魚籃寺」は、「魚籃坂」の途中にある、浄土宗の寺院です。
土地勘がある人に対しては、「ピーコックストア 高輪魚籃坂店」と「ピーコックストア 三田伊皿子店」の間にある寺院と説明した方が分かりやすいかもしれません。

寺の前の坂は、魚籃坂と申します。当山が、坂の中途にあるので名付けられた地名です。

正式寺院名

三田山水月院魚籃寺

紹介文

浄土宗「三田山水月院魚籃寺」と申します。
当山は江戸三十三観音札所の第二十五番目に位置しており、多数の方々のご参詣がございます。
また、当山が管理している納骨堂は宗旨宗派問わず、ご使用できます。

ご本尊

魚籃観世音菩薩

魚籃観音菩薩は秘仏ですので普段は本堂内の御厨子に御安置し、一年に一度、五月の第二土曜日の「大施餓鬼法要会」の時のみ、御開帳しております。一般の方々もご参詣できます。

寺号の由来

魚籃寺という寺号は、ご本尊として、おまつり申し上げている「魚籃観世音菩薩」のお名に因んで名付けられたものです。

運営

宗教法人魚籃寺

年表

1630 年(寛永 7 年)

法譽上人は、庚午(かのえうま)の年に、御利益を広く世に伝えようと思い立ち、豊前の中津(現在の大分県中津市)にあった魚籃院の御尊像を江戸へ移し、三田の地(浄土宗 願海寺境内。現在の港区三田4-2-10)に小さい庵を作ってまつりました。

法譽上人は御尊像を豊前の中津に魚籃院を建て奉安しましたが、御利益を広く世に伝えようと思い立てられ、御尊像を江戸に移し、寛永七年(1630年)庚午(かのえうま)の年に江戸の三田の地(浄土宗 願海寺境内)に小さい庵を作っておまつりいたしました。

1652 年(承慶元年)

法譽上人の弟子である称譽上人は、現在の地に観音堂を建て、三田山魚籃寺を創建しました。

法譽上人のお弟子の称譽上人が承慶元年(1652年)徳川四代将軍家綱が将軍になった年に、現在の地に観音堂を建てて、三田山魚籃寺を創建して永らく当地に御安置し、現在に至っております。

感想

2011 年 10 月 4 日時点 

この界隈に住む方にとっては、大変知名度が高い(と思われる)寺院です。
私がそう考える理由は、都バスへ乗車した際、よくこの地名を耳にしたためです。

ギョランザカシタ

初めてこの地名を耳にしたときは、「何なの? その聞いたこともない異世界のような地名は」と本気で思いました。
あまりに頻繁に耳にするため、その内慣れてしまいましたが、当初はかなり違和感がありました。

「魚藍坂」は、地名ではなく坂の名前

まず、大前提として、「魚藍坂」という地名は存在しません。
「魚藍坂」は、坂の名前です。

「魚藍坂下」は、魚籃坂下一帯を指す俗称

「魚藍坂」の下にある一帯を、俗に「魚藍坂下」と称しています。

「魚藍坂下」バス停だけではなく、「大丸ピーコック 高輪魚籃坂店(現在の ピーコックストア 高輪魚籃坂店)」などスーパーマーケット店名としても使用されている「魚籃」という名称。
そのすべての元となった「魚藍寺」というお寺は、どれだけ凄いのだろう? とずっと思っていました。

ある日、散歩をしていたら、偶然「魚藍寺」を発見しました。
「おお、これが、あの有名な、ギョランザカシタの元になったお寺なのか」と思い、とても興奮しました。

入口こそ、名の知れた寺院に相応しく「朱塗りの山門」になっているけれども、辺りに観光客というか、参拝客の姿は見当たらず。
それこそ、閑静な住宅街にひっそりと佇む渋い寺院、という印象を受けました。

その時は、中へ入って良いのかさえ分からなかったので、とりあえず持っていたカメラで外観だけ写して、そのまま帰りました……。

地図

定点写真で振り返る。「魚籃寺」 の変遷

2010

2010年12月、「魚籃坂」より、「魚籃寺 朱塗りの山門」を撮影しました
2010年12月5日15時46分。「魚籃坂」より、「魚籃寺 朱塗りの山門」を撮影しました。

2011

2011年2月、「魚籃坂」より、「魚籃寺 朱塗りの山門」前の「お地蔵様」を撮影しました
2011年2月17日15時41分。「魚籃坂」より、「魚籃寺 朱塗りの山門」前の「お地蔵様」を撮影しました。
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