定点写真で振り返る。「大信寺」 の変遷
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「大信寺」は、「三味せん寺」と呼ばれてきた、「魚籃坂下交差点」近くにある 浄土宗の寺院です。
〒108-0073 港区三田4-7-20
03-3446-9741
・「東京メトロ/都営地下鉄 白金高輪駅 2出口」から 徒歩 3 分
・「京急/都営地下鉄 泉岳寺駅 A2・3出口」から 徒歩 8 分
「三味せん寺」と呼ばれてきた、浄土宗 宝島山峯樹院「大信寺」は、「魚籃坂下交差点」近くにある寺院です。
宝島山峯樹院「大信寺」は慶長16年(1611年)の創建以来、400年以上の歴史を持つ浄土宗の寺院です。
江戸における三味線製作の始祖とされる石村源左衛門が葬られて以後、石村近江家の菩提寺として香華絶えることなく、本日まで「三味せん寺」と呼ばれてきました。
大信寺境内には東京都指定史蹟「石村近江の墳墓」や邦楽界協賛による「三味線宗祖、石村近江顕彰碑」があります。
※顕彰碑(けんしょうひ)とは、個人の著名でない功績や善行などを称えて、広く世間に知らしめるために建てられる石碑のことです。
江戸における三味線製作の始祖とされる石村源左衛門が葬られて以後、石村近江家の菩提寺として香華絶えることなく、本日まで「三味せん寺」と呼ばれてきました。大信寺境内には東京都指定の史蹟「石村近江の墳墓」があります。
また寺の一隅には昭和34年に邦楽界を挙げての協賛による「三味線宗祖、石村近江顕彰碑」が建立されました。
音楽ゆかりの寺院として一年間を通して多くの方が参拝に訪れています。
株式会社之音堂
凉公上人は、江戸幕府より南八丁堀に寺領を賜り、宝島山峯樹院大信寺を創建しました。
江戸城大拡張に伴い、幕命により大信寺を、現在の芝三田(東京都港区)へ移転しました。
江戸三味線製作の始祖と仰がれ名工の誉れ高い石村源左衛門が没し、大信寺へ葬られました。
明暦の大火(振袖火事)により、大信寺は全焼しました。
弘化の大火(青山火事)により、大信寺は再び全焼しました。
一隅に、日本音楽会の泰斗田辺尚雄先生の起草による黒の大理石の石碑が造立されました。