増上寺

寺院/神社 カテゴリー 第 3 位 / 4,898 PV

芝公園4丁目
閲覧数: 4,898  投稿日: 2011 10 10 日  更新日: 2021 8 13

増上寺 とは?

「東京プリンスホテル」南隣にある、「浄土宗 大本山」のお寺

基本情報

説明文

「増上寺」は、「東京プリンスホテル」南隣にある、「浄土宗 大本山」のお寺です。
「増上寺」南隣右側には「港区立 芝公園」、南隣左側には「プリンス芝公園」があります。

所在地

〒105-0011 港区芝公園4-7-35

電話番号

03-3432-1431

営業時間

10:00~ 16:00

最寄り駅まで

・「都営地下鉄 御成門駅」から 徒歩 3 分
・「都営地下鉄 芝公園駅」から 徒歩 3 分
・「都営地下鉄 大門駅」から 徒歩 5 分
・「都営地下鉄 赤羽橋駅」から 徒歩 7 分
・「東京メトロ 神谷町駅」から 徒歩 10 分
・「JR/東京モノレール 浜松町駅」から 徒歩 10 分

紹介文

増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。
酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。
その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。

名称

三縁山広度院 増上寺

宗旨・寺格

浄土宗 大本山

ご本尊

阿弥陀如来・南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)

主な施設

三解脱門(三門)

「日比谷通り」沿いの「増上寺前交差点」西角にある三門。
※三門(さんもん)とは、門の形式で、「中央の大きな門」と「左右の小さな門」との 3 門を連ねて 1 門としたものです。

増上寺の表の顔として、東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇るこの門は、当山の中門にあたり(表門は大門)、正式名称を三解脱門といいます。徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立。元和8(1622)年に再建されました。増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。 三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことです。建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、美しさを見せています。二階内部(非公開)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。

大殿(だいでん)

増上寺の本堂です。
※本堂(ほんどう)とは、仏教寺院において、本尊仏を安置する建物の呼称です。

昭和49(1974年)年、大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。首都圏では最大級の御堂で、石段を登りつめた二階に本堂、三階に道場、一階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室があります。
本堂のご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。

安国殿

大殿(だいでん)の右側(北隣)にある建物。
徳川家康が成し遂げた"天下泰平の世(安らかな国づくり)"を願う建物です。
※家康の葬儀は増上寺にて執り行われましたが、家康のお墓は増上寺にはありません。

戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物を、昭和49(1974)年、新大殿完成の折りに境内北側に移転し、御堂「安国殿」としました。老朽化のため、平成23(2011)年法然上人八百年御忌を記念し、念仏信仰の拠点として徳川家康公が成し遂げた"天下泰平の世(安らかな国づくり)"を願い、新しい安国殿が建立されました。 本堂中央に本尊である、恵心僧都の作と伝えられる秘仏「黒本尊」(御開帳・黒本尊祈願会、正月・5月・9月の15日)は、家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。 また、御前立の阿弥陀如来立像、脇陣には家康公肖像画、徳川家御歴代並びに御一門の尊霊の御位牌、皇女和宮さまの等身大の御像等が祀られており、安国殿は当山の祈願所として親しまれています。

勝運を招く黒本尊(くろほんぞん)

安国殿の本堂中央にある本尊です。

恵心僧都(えしんそうず)源信の作とも伝えられるこの阿弥陀如来像を家康公は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を祈願しました。その歿後増上寺に奉納され、勝運、災難除けの霊験あらたかな仏として、江戸以来広く庶民の尊崇を集めています。黒本尊の名は、永い年月の間の香煙で黒ずんでいること、また、人々の悪事災難を一身に受けとめて御躰が黒くなったことなどによります。やはり家康公の命名といわれています。

徳川将軍家墓所~徳川家霊廟~

六人の将軍が眠る徳川将軍家墓所

大殿(だいでん)の右奥(北西)にあります。

当山に埋葬されているのは、二代秀忠、五代将軍兄弟の綱重、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍の他、女性では将軍正室として二代秀忠夫人崇源院、六代家宣夫人天英院、十一代家斉夫人広大院、十三代家定夫人天親院、十四代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては三代家光の桂昌院、六代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人です。

芝公園との関係性

芝公園一帯は、江戸時代には増上寺の境内であった敷地が、明治6年の公園制定の太政官令によって公園として開放された、日本最古の公園の一つです。
第二次世界大戦後、政教分離政策のために増上寺と切り離され、敷地の外周部分は都立芝公園に、この一角は様々ないきさつを経て、現在は港区立芝公園となっています。

「浄土宗 大本山」とは?

総本山に次ぐ寺格です。
全部で 7 寺あります。

浄土宗 総本山

知恩院(ちおんいん)

京都市東山区林下町400

浄土宗 大本山

増上寺(ぞうじょうじ)

東京都港区芝公園4丁目7-35

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)

京都市左京区黒谷町121

百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)

京都市左京区田中門前103

金清浄華院(しょうじょうけいん)

京都市上京区寺町広小路上ル北丿辺町395

金善導寺(ぜんどうじ)

福岡県久留米市善導寺町飯田550

金光明寺(こうみょうじ)

神奈川県鎌倉市材木座6-17-19

金善光寺大本願(ぜんこうじだいほんがん)

長野県長野市元善町500

年表

1133 年

美作国久米南條稲岡庄(現在の岡山県久米郡)に勢至丸、後の法然上人が誕生しました。

1175 年

法然上人は、専修念仏を唱え、浄土宗を開きました。

1393 年(明徳 4 年)

浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人は、武蔵国豊島郡(現在の千代田区平河町付近)に増上寺を創建しました。

1584 年

源誉存応上人が、増上寺第十二世住職に就任しました。

1590 年(天正 18 年)

徳川家康は、江戸に入り、存応上人と師檀関係を締結しました。
徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました。

1598 年(慶長 3 年)

増上寺を、芝の現在地へ移転しました。

1605 年

増上寺の大造営を開始しました。

1608 年

増上寺は、朝廷より「常紫衣」ならびに「勅願所」の綸旨を賜りました。

1610 年

存応上人は、朝廷より普光観智国師の号を賜りました。

1613 年

増上寺は、この年までに家康より、宋版、元版、高麗版の大蔵経の寄進を受けました。

1616 年(元和 2 年)

家康は、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75 歳で歿しました。

1617 年

家康の霊廟「安国殿」が、完成しました。
※霊廟とは、死者や祖先の霊を祀る場所のことです。霊廟「安国殿」は、後に戦災で焼失します。

1622 年

三解脱門(三門)を再建しました。

1657 年

江戸大火で増上寺も延焼しました。
1668 年、1762 年、1806 年、1850 年にも、火災で堂宇を焼失しました。
※堂宇(どうう)とは、四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物のことです。

1865 年

和宮 親子内親王は、徳川家茂長州征伐出征のため、黒本尊に御百度詣をしました。

1873 年

大殿が、放火により焼失しました。

1909 年

大殿が、再焼失しました。

1921 年

大殿を再建しました。

1945 年

空襲で伽藍、御霊屋のほとんどを焼失しました。
※伽藍(がらん)とは、僧侶が集まり修行する清浄な場所のことです。後に寺院または寺院の主要建物群を意味するようになりました。

1961 年

増上寺会館が、完成しました。

1974 年

大殿が、完成しました。

1989 年

開山堂を再建しました。

1999 年

新増上寺会館が、完成しました。

2000 年

光摂殿が、完成しました。

2009 年

圓光大師堂、学寮が、完成しました。

2010 年

安国殿を再建しました。

2011 年

宗祖法然上人八百年御忌を執り行いました。

「御忌」とはもともと、天皇や皇后の忌日法要に対する敬称でしたが、大永三年(1523)に、「法然上人の年忌を『御忌』とし、毎年1月に7日間の法要を勤めるように」との詔勅(しょうちょく)が後柏原天皇から総本山知恩院に下されて以降、特に法然上人の忌日法要にこの言葉が用いられています。

感想

2005 年

境内から見た「大殿」と「東京タワー」のコントラストに驚きました(東京タワーがこれほど近くにあるとは思いませんでした。同じ視界に収まるとは思いませんでした)。
両施設は無関係ですが、「観光名所でもある人気鉄塔」と「歴史ある徳川家菩提寺」とを何だかセットのように感じ、新鮮でした。

2008 年 1 月 2 日

「増上寺」へ初詣に出掛けました。
大勢の人出で賑わっていましたが、明治神宮のように「何時間待っても人の列がほとんど動かない」というレベルまでは混んでいませんでした。
雰囲気が盛り上がるぐらいの適度な混み具合で、厳かさもあるため、初詣にはお勧めです。

2021 年 1 月

毎年正月に行われている猿回しを見るため「増上寺」へ初詣に出掛けました。
しかし、今年は(コロナの影響で)猿回しが行われていませんでした。
代わりに(いつも猿回しが行われていた入口右側で)、献血を募集していました。
どういう経緯で増上寺で献血募集することになったのか分かりませんが、素晴らしい取り組みだと思いました。

地図

定点写真で振り返る。「増上寺」 の変遷

2020

2020年1月、「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました
2020年1月3日11時51分。「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました。「初詣」と書かれた掲示物も写っています。

2018

2018年1月、「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました
2018年1月1日16時6分。「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました。

2017

2017年11月、「増上寺前交差点」より、改修工事中の「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました
2017年11月26日16時27分。「増上寺前交差点」より、改修工事中の「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました。

2014

2014年6月、「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました
2014年6月2日17時5分。「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました。「平成二十六年度 大本山増上寺布教師会 定時総会・研修会 於 光摂殿講堂」と案内表示されています。

2013

2013年5月、「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました
2013年5月14日17時40分。「増上寺前交差点」より、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました。「五月十五日(水)午前十時~三時 経蔵一般公開 雨天中止」と案内表示されています。

2011

2011年1月、境内より「JR 浜松町駅」方面を背にして、「増上寺 大殿」を撮影しました
2011年1月31日13時0分。境内より「JR 浜松町駅」方面を背にして、「増上寺 大殿」を撮影しました。右奥に東京タワーも写っています。

2010

2010年12月、「JR 浜松町駅」方面を背にして、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました
2010年12月25日15時38分。「JR 浜松町駅」方面を背にして、「増上寺 三解脱門(三門)」を撮影しました。

2008

2008年1月、「増上寺 大殿」にて初詣の順番を待つ人々の様子を撮影しました
2008年1月1日1時20分。「増上寺 大殿」にて初詣の順番を待つ人々の様子を撮影しました。

2005

2005年1月、「増上寺 大殿」を撮影しました
2005年1月27日12時50分。「増上寺 大殿」を撮影しました。
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魚籃寺

寶徳寺



「増上寺」に関する特選ツイート

2020 年

2021 年