高輪大木戸跡

史跡 カテゴリー 第 1 位 / 2,522 PV

高輪2丁目
閲覧数: 2,522  投稿日: 2011 10 31 日  更新日: 2021 1 17

高輪大木戸跡 とは?

「第一京浜」の「高輪大木戸跡交差点」近くにある、江戸の治安維持のための関門跡

公式サイトのキャプチャ画像

所在地

〒108-0074 港区高輪2-19

最寄り駅まで

「都営地下鉄/京急 泉岳寺駅」から 徒歩 3 分

基本情報

「高輪大木戸跡」は、「第一京浜」の「高輪大木戸跡交差点」近くにある、江戸の治安維持のための関門跡です。
東海道が江戸に入る場所(江戸の南の玄関口)に設けられました。
両脇に長さ 9 m、幅 7.2 m、高さ 3 mの石垣を築き、間に柵と門がついていました。
午後 10 時 から 午前 6 時までは、木戸番の監視があり脇の潜り戸からしか通ることができませんでした。
現在は、「第一京浜」沿いに東側の石垣だけが残されています。
1928 年(昭和 3 年) 2 月 7 日に、国の史跡に指定されました。

平仮名表記

たかなわおおきどあと

解説文

東京都教育庁地域教育支援部

高輪大木戸は、東海道が江戸に入る場所に設けられた治安維持のための関門です。両脇に長さ9m、幅7.2m、高さ3mの石垣を築き、間に柵と門がついていたようです。両開きの扉がつき、脇に板塀と木戸番小屋が設けられていたといいます。夜四つ時(午後10時)から朝六つ時(午前6時)までは、木戸番の監視があり脇の潜り戸からしか通ることができませんでした。
 本大木戸は、東側の石垣だけが今でも残っています。享和年間(1801-03)に伊能忠敬が全国を測量した際、ここが起点とされました。

港区

高輪の大木戸は、江戸の治安維持のため、宝永7年(1710)に東海道の両側に石垣を築き、設置されました。各町にある「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であることから、「大木戸」と呼ばれ、旅人やその送迎客でにぎわいました。初めは柵門があり明六ツ、暮六ツに開閉していましたが、後に廃止され、浮世絵には石垣のみが描かれています。伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点がこの大木戸でした。明治初年に西側の石垣は取り払われ、現在は国道15号線(第一京浜国道)沿いに東側の石垣だけが残されています。

説明板

史跡
高輪大木戸跡
所在地 港区高輪2-19
指定 昭和3年2月7日

高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永7年(1710)に芝口門にたてられたのが起源である。享保9年(1724)に現在地に移された。現在地の築造年には宝永7年説・寛政4年(1792)など諸説がある。
江戸の南の入口として、道幅約六間(約10m)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は門を閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。
天保2年(1831)には、札の辻(現在の港区芝5-29-16)から高札場も移された。この高札場は、日本橋南詰。常盤橋外・浅草橋内・筋違橋内・半蔵門外とともに江戸の六大高札場の一つであった。
京登り、東下り、伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ付近に茶屋などもあって、当時は品川宿にいたる湾岸の景色もよく月見の名所でもあった。
江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は、海岸側に幅5.4m、長さ7.3m、高さ3.6mの石垣のみが残されている。
四谷大木戸は既にその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として重要である。震災後「史跡名勝天然記念物保存法」により内務省(現文部省所管)から指定された。

平成5年3月31日 建設
東京都教育委員会

「大木戸」の名前の由来

町にある「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であることから、「大木戸」と呼ばれたのが由来です。江戸に入る各街道に設けられました。
「甲州街道」は「四谷大木戸」、「中仙道」は「板橋大木戸」、そして「東海道」は「高輪大木戸」が設けられました。
なお、江戸に入る大木戸として現存している史跡は、ここ高輪だけです。
設置当初は「明け方に開き、暮れに閉じる」という治安の維持と交通規制の役割を果たしていましたが、江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は「第一京浜」海岸側に幅 5.4 メートル、長さ 7.3 メートル、高さ 3.6 メートルの石垣のみが残されています。
 

感想

この前を頻繁に通りますが、これまで深く気に留めたことは一度もありませんでした。
たまに、年配の史跡ツアーと思しきグループが、この史跡を興味深そうに見学している様子が、気になっていたぐらいです…。
歴史好きの人ならともかく、一般の人にはわりと関心が低い史跡かもしれません。
実際に訪れてみると分かりますが、この地は、ごく近所の人しか通らない、何もない場所です。
位置的には「岳寺駅」と「三田駅」の間にありますが、「第一京浜」を車がびゅんびゅん通っているだけのところに、突然、大きな石が置かれていて、そのために歩道がカーブしている、そんな場所です。

年表

1710 年(宝永 7 年)

江戸の治安維持のため、東海道の両側(芝口門)に石垣を築き、高輪大木戸を設置しました。

1724 年(享保 9 年)

高輪大木戸を、現在地(港区高輪2-19)へ移しました。

1831 年(天保 2 年)

札の辻(現在の港区芝5-29-16)から高札場も、現在地(港区高輪2-19)へ移しました。
※高札場(こうさつば)とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことです。

1868 年(明治元年)

西側の石垣を取り払いました。

1928 年(昭和 3 年) 2 月 7 日

国は、「高輪大木戸跡」を史跡に指定しました。

1993 年(平成 5 年) 3 月 31 日

「東京都教育委員会」は、説明板を設置しました。

地図

定点写真で振り返る。「高輪大木戸跡」 の変遷

2009

2009年6月、「品川」方面より「高輪大木戸跡交差点」へ向け、「高輪大木戸跡」を撮影しました
2009年6月2日12時38分。「品川」方面より「高輪大木戸跡交差点」へ向け、「高輪大木戸跡」を撮影しました。左側に写っている黄色いタクシーが走っている道路が「第一京浜」。右手が海岸側で、すぐ側を「JR 山手線、京浜東北線、東海道線」などが走っています。

2011

2011年2月、「高輪郵便局」方面へ向けて、「高輪大木戸跡」を撮影しました
2011年2月17日16時52分。「高輪郵便局」方面へ向けて、「高輪大木戸跡」を撮影しました。
矢印キーで移動します

「高輪大木戸跡」に関する特選ツイート

📚本📚 @HONLOVE13

母の命日が近いので、泉岳寺にあるお寺さんにお参りにきました。
 
国道の向こうのフェンスの中に高輪築堤があるんですね🤩
写真の左端の緑のこんもりしたところが、高輪大木戸跡です。木戸を通れば、品川の海が続いていたんですよ‼️
品川駅からこの辺まで大再開発で、ここも45階のビルが建つそうです pic.twitter.com/6pZiOZ2xS7

5歳児'Sパパ四十路🇯🇵 KOYANO,Daisuke【笑呆舎豊粋】 @gugu_koyano

江戸時代の遺跡と明治時代の移籍
(右奥 高輪大木戸跡と手前 高輪築堤の石積遺構) pic.twitter.com/4Naqoml2lj


石村近江墓

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5歳児'Sパパ四十路🇯🇵 KOYANO,Daisuke【笑呆舎豊粋】 @gugu_koyano


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