定点写真で振り返る。「旧台徳院霊廟惣門」 の変遷
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「旧台徳院霊廟惣門」は、「第二代将軍徳川秀忠の霊を祀る場所」の正面にあった門です。
国の重要文化財(建造物)に指定されています。
「芝公園」の「日比谷通り」沿いにあります。
※台徳院とは、第二代将軍徳川秀忠のことです。
※霊廟とは、死者や祖先の霊を祀る場所のことです。
※惣門とは、正面の門のことです。
3 間 1 戸 8 脚門、入母屋造、前後据唐破風附、銅瓦葺
台徳院霊廟は、1945 年(昭和 20 年) 5 月 25 日の東京大空襲で、惣門・勅額門・丁字門・御成門の4門を残し、焼失しました。
惣門以外の 3 門は、狭山市にある不動寺へ移築されました。
第二代将軍徳川秀忠(台徳院)の霊廟は、寛永9年(1632)に増上寺伽藍の南隣に造営されました。惣門はこの霊廟の正門にあたり、入母屋造、前後に軒(のき)唐破風(からはふ)が付けられた三間一戸八脚門となっています。台徳院霊廟は建築後幕末までに記録に残されている修理が16回行われていますが、惣門については文政13年(1830)に瓦葺であった屋根が現在の銅板葺に改められています。台徳院霊廟は、昭和20年5月25日の東京大空襲で惣門・勅額門・丁字門・御成門の4門を残し、華麗な建築群のほとんどを焼失しました。このうち惣門以外の3門は狭山市にある不動寺に移築され、また、惣門は昭和34年(1959)に、当初の位置から東方58mの現位置に移動されています。
平成16年から2年をかけて銅板屋根の葺き直し及び塗装、金具類の化粧直しと欠失するものの補足を中心とした修理が実施され、文政13年当時の姿がよみがえりました。また、惣門には本来仁王像は安置されません。現在の仁王像は、元は埼玉県川口市の西福寺のものでしたが、昭和23年に浅草寺に移された後、紆余曲折を経て惣門に安置されたものです。その時期は不明です。
第二代将軍徳川秀忠(台徳院)の霊廟が、増上寺伽藍の南隣に造営されました。
瓦葺であった惣門の屋根は、現在の銅板葺へ改められました。
東京大空襲で、台徳院霊廟は、惣門・勅額門・丁字門・御成門の4門を残し、焼失しました。
惣門を、当初の位置から東方 58 mの現位置へ移動しました。
2 年をかけて銅板屋根の葺き直し及び塗装、金具類の化粧直しと欠失するものの補足を中心とした修理を実施しました。
1830 年(文政 13 年)当時の姿がよみがえりました。