慶應義塾大学とは?
「中津藩士の福澤諭吉が藩命により『江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)中津藩中屋敷内に開校した蘭学塾( 1858 年(安政 5 年))』」を起源に持つ大学です。
1871 年(明治 4 年)、三田(港区三田)の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年払い下げを受ける)、現本部所在地へ移りました。
誰が学んでいるの?
三田キャンパスでは、文学部の2~4年生、経済・法・商学部の3・4年生、文学・経済学・法学・社会学・商学・法務研究科の大学院生が学んでいます。
※女子高等学校、中等部もキャンパスに隣接しています。
入学式 と 学園祭
入学式
三田キャンパスで行なわれます。
学園祭
各キャンパスごとに開催されます。
三田祭(三田キャンパス)
運営は、三田祭実行委員会。
毎年 11 月 23 日前後に、4 日間実施されます。
年表
1858 年(安政 5 年) 10 月
開塾
福澤諭吉( 25 歳)は、藩命により「江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内(現在の東京都中央区明石町、聖路加国際病院の辺り)」に蘭学塾(慶應義塾の起源)を開きました。
現在ではこの地に、創立 100 年を記念して「慶應義塾発祥の地記念碑」が建てられています。
1868 年(慶應 4 年=明治元) 4 月
時の年号をとって塾名を「慶應義塾」と定めました。
1871 年(明治 4 年) 3 月
三田へ移転しました。
※「現在本拠である三田の地」はもと「島原藩の中屋敷があった場所」に該当します。
1951 年(昭和 26 年) 2 月
義塾が、学校法人となりました。
1959 年(昭和 34 年) 5 月
三田南校舎・西校舎が、落成しました。
また、南側に新設した門が正門となりました。
2009 年 12 月 7 日(月)
創立 150 年記念事業の一環である、「未来先導館(仮称)」を含む「南校舎建て替え工事の地鎮祭」が、午前 10 時から、三田キャンパスにて行われました。
神事には清家篤塾長をはじめとした義塾関係者、設計監理者である株式会社日建設計、施工者である株式会社錢高組、日本電設工業株式会社、第一工業株式会社、日新設備株式会社などが列席し、鍬入之儀、玉串奉奠などが厳粛に執行され、引き続いて直会が行われました。
2011 年(平成 23 年) 3 月 23 日
「三田キャンパスの南校舎建て替え工事」が完了し、「三田キャンパス南校舎」が竣工しました。
三田キャンパス南校舎が竣工
2011/04/05 慶應義塾
三田キャンパスにおいて建て替え工事を行っていた南校舎が3月23日に竣工し、4月1日から利用ができるようになりました。
新しい南校舎は、地下1階・地上7階建ての鉄筋コンクリート造で、建物中央部分には南門と中庭の間を通り抜けできる階段が設けられています。
この南校舎には、200人収容できる大教室2室を含め全45教室が配置され、このほかにも1階には学生ラウンジ、PCラウンジ、4階には学生食堂「ザ・カフェテリア」、7階にはグループ学習室(4室)や見晴らしのよいテラスなどが備えられています。さらに今後、学生部事務室が地下1階に集約される予定です。
また、3階には塾員・教職員向けのラウンジ「社中交歡 萬來舍」や5階・6階には大規模な講演会などにも利用可能な680名収容の南校舎ホールも設置されています。